FABER

パリの瞳

by 工藤 瞳

Vol.00242007年11月

"アモン" 橋とナシオナル橋

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前回紹介したガリリアーノ橋からトラム(路面電車)T3に乗って、パリの南を時計と反対周りに進む。振り子が約45度ほど左に振れたところに終点ポルト・ド・ヴィトリー、そこから路線バスPCに乗り換えて、さらに進むとようやくセーヌ川が見えてくる。路線バスPCが渡るのはナシオナル橋だ。そこから遠くにセーヌ川最上流に架かる橋が見える。本当ならほんの30分ぐらいで行ける距離だが、ガリリアーノ橋からここまで来るのに、連載を少しお休みしてしまったので、季節はすっかり秋になってしまった。

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"アヴァル"橋の兄弟分、通称"アモン"橋Pont Amont(上流の意)は、セーヌ川がパリに入る最初の橋だ。やはり郊外環状道路(ペリフェリック)の通り道で車両専用。"アヴァル"橋とは年子で、1969年に完成した。長さは"アヴァル"の次に長い270m、幅は42mとこちらのほうが広い。工場地帯にあり、歩いて近づくことができない、ひたすら実用向けの働き者の桁橋なのは兄貴分とおなじだが、こちらは鉄筋コンクリートでできている。

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ところで、環状道路の少し内側を通るT3は唯一パリ市内を走るトラムである。2012年のオリンピック誘致を見込んでパリ南部と東をカバーし、現在、パリ北郊外を走るT1、パリ西郊外から南下するT2に乗り入れ、パリをぐるりと取り巻き、各地のスタジアムをつなぐ予定だった。2012年のオリンピックはなくなって、T3は今のところはパリ南東のポルト・ド・イヴリーで止まっているが、今後、セーヌを渡って東に進み、2011年にはポルト・ド・シャラントンまで延びる予定だ。

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ナシオナル橋に戻ろう。1853年に完成し、1970年までナポレオン3世橋と呼ばれていた。今は存在しないパリ南西のオートゥイユ高架線は2階建てで上を鉄道が走っていた(前回参照)が、かつてのナポレオン3世橋は脇に鉄道(プチット・サンチュール)を従えていた。それが今でもそのままに放置されていて、雑草が生え放題、使われていない線路が錆びたまま横たわっている。その向こうに、すっかり落書きされて荒れ果てているが、かつては冷凍倉庫だったのだろう、GARE(駅)と書かれたレンガの建物も見える。駅と同じアーチ型で当時のセンスがしのばれる。かつてはここに貨物列車が乗り入れ、トラックに荷物を運ぶ男たちで暗いうちからごった返していたのだろう。ナシオナル橋の上は、不思議なほど、人も車もほとんど通らない。完全に取り除かれたり、埋められ整地されたり、その上にコンクリートの道ができたりして分断された幻の廃線プチット・サンチュールだが、ここでは錆びた線路が何だか堂々としていて偉そうに見える。別の時代にタイムスリップさせてくれる場所である。

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12区側に渡って橋の下に降りてみるが、歩いて橋の下を通ることはできなかった。もう一度13区側に戻ってみる。セーヌ川の「上流」に架かる橋なのに、近辺は「上流」とは言い難い、開発に取り残された工場跡地。迷ったついでに少し歩いていくと、人っ子一人いない通りの角にTheatre(劇場)と看板のかかったレンガの建物がある。昔の倉庫を改造したものらしい。13区の住人なら一律5ユーロで出し物が見られると書いてある。どんな芝居をするのだろう? これもまたタイムスリップ体験だ。

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そこからしばらく歩いてセーヌ河畔に出、アクセスがないから工事現場に入って、ナシオナル橋を眺めてみた。長さ188,5m、幅34m、レンガでできたアーチの橋は、ちょっとレトロな雰囲気を醸しだし、シンメトリックで合理的な美しさを感じさせる。何と言っても現在のパリを作ったナポレオン3世、その名で呼ばれた橋なのだ、当時は立派な姿として人々の目に映ったに違いない。ナポレオン3世は日本とも関係が深く、最後の将軍徳川慶喜が彼と同じ軍服を着て撮った写真が残っている。来年は日仏修好150周年となるそうだ。

セーヌ川の橋を地図で確認

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