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不思議な石の旅

2007年08月25日

本州の猛暑とまで行かずとも、北海道の盆休みは晴天続き。気温も珍しく三十度を越える日が三,四日続いた。暑さを少しでも凌ごうと「涼しそうな」場所を求めて訪れたのが、「アルテピアッツァびばい」。アルテピアッツァはイタリア語で「芸術広場」といった意味だろう。美唄(びばい)は彫刻家安田侃の生まれ故郷。炭鉱時代の小学校跡地に安田氏の作品を展示しているユニークな公園で、子供連れの家族や親子が涼しそうに「水遊び」をしていた。


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安田侃は北海道美唄市に生まれ1970年代にイタリア政府招聘留学生としてイタリアに渡った。その後、トスカーナ地方ルッカ(Lucca)の街ピエトラサンタ(Pietrasanta)にアトリエを構えて制作を続ける彫刻家で、札幌駅南口の入り口中央におかれた大理石の作品の前は、良く待ち合わせの場所にも使われる。


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日本語のウィキペディアで調べてみたら、安田氏については簡単な説明があったが、ピエトラサンタという街については、項目はあるものの説明がなかった。


たどたどしいイタリア語でイタリア語版 Wikipedia を調べてみたら、「リグリア海」と「アクアネ山岳地帯」で構成されるトスカーナ地方一体(つまりトスカーナ地方の西海岸側)を「ベルシリア:Versilia」と呼んで、ピエトラサンタはこのベルシリアの歴史的都市であるということがわかった。イタリア語の wiki は「ピエトラサンタ」を、大理石やブロンズ彫刻制作の国際的中心地と位置づけて、近年ますます芸術都市の様相を濃くしていると書いているが、その代表的なアーチストとして、コロンビアの彫刻家フェルナンド・ボテロ(1932-)、ポーランドの彫刻家イーゴル・ミトラヤ(1944-)と並んで安田侃(1945-)の名が記されていた。


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フィレンツェとジェノヴァの中間地点、ピサの少し北側に位置するこの街に行ったことがないけれども、以前に安田侃の特集番組を見た時に街の様子がTVに映っていた。イタリア語で「石」は「ピエトラ」だから、きっとここは昔から大理石の産地なのだろう。イタリアの大きな石が日本人の彫刻家の手によって彫られ、磨かれ、その生まれ故郷に運ばれて、青々とした森に囲まれた芝生に安堵しているのを見ていると、石の「旅」の不思議な重さを感じる。


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北イタリアの地面で育った石が遠い東洋で息をしている。きっとイタリアと北海道の空気は違う味がするはずだ。もし日本の木彫仏像が海外に運ばれて、そこの空気を吸っているのを見てもきっとこんな不思議を感じないだろう。


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特別な「重さ」。それは、一人の彫刻家によって表現される形やそこに込められた思いによるものかも知れないが、何と言っても、地球の反対側にあった石が掘り起こされて、その地面がそのまま遠い国に移植されたような、とてもスケールの大きい重さなのである。(kudot)

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