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雪は黒い:山本武夫展から

2008年03月25日

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目黒区美術館で開催中の「山本武夫展」は、今日の私たちが忘れかけている日本のグラフィックデザインの実力をいやというほど実感させる、内容の濃い展覧会である。山本武夫の筆から生み出される線や面は、浮世絵や絵巻がもつ伝統的な遠近法や色彩感覚を維持しながら、昭和初期の「モダン」と見事に融合している。最近めったにお目にかかれないデザインにおける「粋」が、美人画、挿し絵、舞台美術、プログラム・・・と、かれの手がけたどの作品(原画)にもすっきりと表現されていて気持ちがいい。400点あまりの出品作品の一枚一枚を見るのには多少時間がかかったが飽きさせる絵は一枚もなかった。


この展覧会でとくに気になった二枚の挿し絵原画がある。昭和30年から昭和31年にかけて『報知新聞』に連載された小説「幕末長恨歌(井上友一郎 作)」の雪のシーンを描いたもの(出品番号58,59)。白いものを白い紙の上に書くことはできないのは当たり前なので、雪を描こうとする画家はいろいろと苦労するのだと思う。とくにモノクロの場合は、雪景色を雪景色らしくみせるのはとても難しいのだと思うが、山本の絵を見て感動したのは、天から降ってくる雪や、道や塀をすっぽりと包み込んだ雪が、その白さとともに、とても生き生きと表現されていることだった。絵を描く人にとっては、こんなことは当たり前のことなのかも知れないが、白と黒というたった二つのチャンネルしかないのだから、選択肢は白地には「黒」、黒地には「白」で雪を描くしかない。何の背景も人物も描かれていない白地に黒の点を描いてそれを「雪」だと言うこともできるし、逆に真っ黒な地の上に白の点を描いてそれを「雪」だと言うこともできる。何れにせよ白い紙なら「黒」、黒い紙なら「白」で表現してそれを雪らしく見せるテクニックが必要となる。


二枚の絵のうち、最初はある藩邸か何かの門の前に、10人ほどの志士たちが刀を抜いて、今にもそこに突入しそうな情景。風のない空からは少し大きめな雪がゆっくり落ちてくる感じである。志士の袴はストライプ、袴から上の上半身は黒、そして空も黒である(つまり夜)。上から落ちてくる雪は、空(黒地)にある時は「白」で、雪が積もった松の木や門塀の屋根(白)を通過する時は「黒」で、志士たちの上半身の着衣(黒)のところだけ「白」になり、最後は地面(白)に描かれた足跡(黒)と区別がつかなくなる。この動きがじつにうまくできている。私たちは天から落ちてくる同じ雪を「白」と「黒」の両方で見ているのである。


二番目の絵は、画面中央の一点が消失点になっている典型的な遠近法。両脇がお屋敷の屋根付塀になっていて、両脇の塀と空と路がこの唯一の消失点に向かって収束していく格好である。道も塀も塀からのぞく松の梢も真っ白だが、遠く(画面の奥)に黒の着物を着た武士らしき二人づれが背を向けて歩いている。空は白(つまり昼間)。はたして雪はほとんどが黒の点で描かれていて、前例と同じく、道に積もった雪の足跡(黒)に紛れている。この絵では遠景の武士の着物(黒)面積が非常に小さいため、この黒の上に「白」の雪は描かれることがなく、雪はすべて黒で表現されているのだが、その「黒い」雪を際立たせるかのように、画面の手前には大きな傘(白)を広げた女の後ろ姿が描かれる。ちなみに傘の下から少しだけ見える女の着物の裾はやはりストライプである。降る雪(黒)の背景をなるべく細い線で描いて、武士の着物と雪の笠をかぶった松の下葉に黒を使う以外は、極力黒を少なくしてある。こうすると不思議にも、黒い雪を見ながら、ほんとうにすっぽりと雪に覆われた銀世界が実感できるのだから不思議だ。


この二作品以外にも、一連のモノクロの挿し絵原画には、例えば「水(川、海)」や「火(火事、蝋燭)」や「雨」といった自然現象が非常にうまく表現されていて、胸が高鳴る思いがした。展覧会の目玉になっている「美人画」の色使い、キモノや髪形のデザインにも、服装研究家としての山本の味が出ていて面白い。イラストレーターを上手に使いこなす若いデザイナーたちには、是非一度見に行って欲しい展覧会だと思った。(工藤孝史)

目黒区立美術館 http://www.mmat.jp/

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