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〜選択した記事〜

Vol.002

「あッ、鍵がない!」〜自動ロックドアと錠前屋〜 2005年09月14日

夏にパリにいると、日本へ帰国する知人に留守を頼まれることがあるが、今年は“植物の水やり番”として、20区、ペール・ラシェーズ墓地そばの広く大きなテラスのある家に住み込んだ。同じパリなのに、私が住んでいる地区とは“空気”が違う。ヴァカンス気分でそこに移り住んだものの、三日目の夜、とんでもないことが起こった。


まだ日の長い夏の夕暮れ、夕涼みのため外に出ようとしたら、風でドアが閉じてしまった。「あッ、鍵がない!」。不案内な地域で家を締め出されたのだ。笑い事ではない。実はフランスに来てこれで3度目の経験だった。


 最初は10年前、仏式6階(日本では7階)最上階の屋根裏部屋で。苦肉の策で屋根に上って誰もいない隣のベランダに降り、そこから自分のベランダに移る、というアクロバットで切り抜けた。『階段を下りて左』というフランス映画は、痴話喧嘩の絶えない情熱カップルのどたばたコメディー。嫉妬深い旦那(リシャール・ボーランジェ)に廊下に締め出された若奥さん(エマニュエル・ベアール)が、隣の若い男性に頼んでキャミソールとパンティ姿でベランダ伝いに自分のうちへ・・・。私はこの映画をずっとあとで見たが、このときは管理人も大家も不在の日曜日、それしか方法がなかったのだ。


 二度目は7年前、引っ越してすぐの頃、これも最上階だったが、中庭も外もどこにも掴まる場所のない建物で、管理人なし、しかも深夜だったから、しかたなく連れとホテルに泊まり、翌朝、うまい具合に大家と連絡が取れたのだ。


だが何といっても前回とは違って、「今度は管理人さんがいる!」と思い、素早く下に降りて管理人さんのおばさんに泣きついたものの、残念ながら合い鍵はなかった。良い人で「ちょっと待ってて」といったん引っ込むと、X線写真のネガフィルム? を手に戻ってきた。「これで試してみましょう」と一緒に10階へ。さて、知人宅は日本の古物を扱う骨董屋。セキュリティ万全の装甲ドア(Porte blindee)なのだが、パタンと閉まっただけなら望みがある。ドアと壁のすき間にネガフィルム(あるいはカード)を差し込み、縦に動かせばいいのだ。普通ならそれで開くことも多い。ところが、案の定、ドアと壁はしっかりかみ合っていて無理だった。


再び下に降りて外から見上げ、上下左右のアパートに人がいるかをチェック。テラス伝い入れないものかと懲りずに考える私だが、ヴァカンス時期のこともあり、出かけてしまったのか両隣に電気はついていない。上階の11階には人がいるようだ。そこに入れてもらって映画のようにロープでベランダへ? 管理人のおばさんはもちろん取り合わない。



方法は一つしかなかった。錠前屋(Serrurier)を呼んで開けてもらうこと。しかし、もうかれこれ夜中の11時。近くの交番にも行き、錠前屋の鍵を開ける料金を問い合わせると、夜間180ユーロ、明日の朝7時以降120ユーロと言われた。管理人の知り合いの錠前屋だと夜間130ユーロという。背に腹は代えられない。お願いすることにした。


パリの西端ブーローニュから東端20区まで35分で着いたのは、50歳代のきちんとした身なりのマダム。プロフェッショナルと聞いていたのでどんなすご腕かと思いきや、やはり手に持っているのはX線写真のネガ。新品ではなくちょっとくたびれたやつを、ドアを押し上げつつ汗だくで苦労した上、ついにドアのすき間にS字状に差し込むのに成功した。あとは引き下ろすだけ。鍵開け名人いわく、かなり技術を要したとか。めでたく中に入れたのが深夜1時頃。


あとから聞くと、フランス人もみなこんな馬鹿な経験をしている。仕方なく錠前屋(Serrurier)を呼ぶと、いきなりドアを壊され、法外な値段を取られることもよくあるらしく、あこぎな商売のように思われている。


Serrurier(セリュリエ:錠前屋)は1543年、フランソワ1世の特許状により職業として認められるが、偽鍵の製造者は“押し込み強盗”と書かれた絞首台に送られた。現在も、錠前屋が合い鍵を作り犯罪に及んだ場合、2年から5年の拘留、100ユーロから3000ユーロの罰金が課されることが法で定められている。一般人に比べてかなり厳しい量刑だ。ブーローニュの鍵名人マダムも言っていたが、この商売、警察に同行し犯罪現場に入ったりもするため、めったなことはできない。怪しい稼業ではないのである。


問題なのはこの自動ロックシステムだ。閉める手間が省ける以外にどんな利点があるのだろう。泥棒や強盗を警戒して自分が締め出されているんじゃ、本末転倒だ。錠前屋はたしかにそれで儲かる。彼らが得するようになっているだけだ。うちは遅れていて自動ではないのがかえってよかった。少なくとも締め出されることはないのだから。(工藤瞳)

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