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〜選択した記事〜

Vol.007

パリの中国人、パリの日本人 2006年02月19日

パリはさまざまな肌の色、国籍、言語の人が行き交うメルティング・ポットだ。ヨーロッパ系はもとより、旧植民地出身者であるマグレブ系(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)、アフリカ系の人たちもすっかりフランス人化している。それに加えて東洋人もかなり多い。東洋系の移民は暴動とは無縁だが、その理由は、彼らのコミュニティの結束の強さと、経済の活気ではないだろうか。


旧フランス領インドシナ、現在のベトナム、タイ、ラオス、カンボジアから移民としてやってきた人たちは、中国料理店を営みながらフランス中に広がり、着実にテリトリーを広げている。パリの南東13区の南半分、北東19区のベルヴィル一帯、規模は小さいけれど3区のサンチエ地区にチャイナタウンが形成され、総菜屋+軽食レストランとなると、本当にいたるところにある。


 
ところで、日本人はオペラ座近くに多く集まっている。レストラン以外に、古くからある三越、またプランタン=高島屋、とらや、メガネのパリーミキ、メナード化粧品、ヴァンドーム広場にミキモト真珠。サンジェルマン・デ・プレにパティスリー青木(菓子)、シュウ・ウエムラ(メークアップ)、サンルイ島に勇寿司など、ジャパニーズタウンを形成するというよりも、腕に覚えのある人たちが「衣」「食」分野で独自のスタイルを確立している。「住」分野でも、寝具や照明などフランス人が和風生活を真似するようになって久しく、日本文化はすっかり市民権を得た感がある。「スシ」「ワサビ」「ゼン」などのキーワードを看板にしたレストランをよく見かけるのはそのせいだろうか。


 
ところが、その実態は、だいたいが中国人経営の「ニセジャポ」つまりニセのジャポネである。カルチェ・ラタンのとある通りには日本料理店が11店もある。なのに、どこも日本語が通じない・・・。2000年以前には、まだ日本料理店が少なく、その分期待も大きかったので、街で日本語の看板を見るたびに、ここはもしや、と思ってのれんをくぐっては裏切られた。今は雨後のタケノコ状態に増えたニセジャポ、当時の見分け方は、チープな写真つきメニューとカラフルでキッチュなデコレーションだったが、この頃は外見だけでは見分けがつかないほど渋い店構えのニセジャポも増えている。


手軽に安く食べたければニセジャポも悪くない。あまり期待しないでこれはこれ、と割り切ることが肝心。「パリ名物」と言ってもいいくらいだ。こういうことはきっと、日本におけるフレンチとイタリアンでもあるだろうし、パリのビザ屋のほとんどがアラブ人経営という実態もある−とにかく、裾野が広がった日本のイメージを利用して商売をする中国系移民。彼らのバイタリティーにはかなわない。



 「食」文化をてこに財を築く彼らの厨房を支えているのは「陳兄弟」フランス語でTang Freresの巨大なスーパーマーケットである。ここに行けばあらゆるアジアの食材が手に入る。中国系レストランは「陳氏商場」から仕入れてそれを加熱し、そのまま出している節がある。私が買って食べるネムNem(ベトナム風春巻き)はレストランで食べるのとほとんど違わない。恐るべきかな流通の力。それに比べ、日本人は個人プレーで、それぞれの店が独自のルートで仕入れた食材をそれぞれの味にしている。この涙ぐましい努力に気づく「違いの分かる」消費者は少ない。

 さて、移民先の土地ですっかり根を下ろした中国系が強い分野に、服飾とアクセサリーがある。この頃、中国系のかなりおしゃれなブチックがチャイナタウンではなく、あちこちの目抜き通りに進出するようになった。しかも驚くべきコスト・パフォーマンスを繰り広げている。マレやバスチーユのおしゃれな目抜き通りで見かけたブチックでは、靴がだいたいが市場の3分の1以下の値段。アクセサリーは半額ぐらい。彼らは毛皮製品も扱っていて、毛並みが寝ていていやに値段の安い襟巻きを見た。ヨーロッパで猫や犬の毛を用いることは禁じられている。しかし、それが感覚の違う中国から来たとすれば・・・? ウサギと言っていたが、まさかあれは・・・きゃー!


考えてみれば、経済急成長中の彼らにとって、市場のルールはただ一つ、誰よりも安く大量に生産し低価格で売り出す。オリジナリティにあまりこだわらず、いかに本物に見せるか、そこが勝負。これが中国式のお客様へのサービスであり儲け方であるらしい。量と価格で市場に食い込むチャイナ攻勢は凄まじい。


2月の初め、9区のリセで日本語のオラル試験官として高校三年生をテストした。日本語を選択できる高校がパリにはいくつかあるが、パリ市日本語講座の上司に頼まれてのこの仕事も、今年で3年目。そこでいつも思うことは、中国系の学生の多いことだ。彼らの大半は非常によくできる。家庭で中国語、学校でフランス語と英語、そしてさらに日本語。中にはスペイン語やドイツ語ができる高校生もいる。将来を聞くと、弁護士やジャーナリスト、経済に進みたいという子が多くて頼もしい。ヨーロッパで育った2世、3世たちが、この市場の論理をどのように修正していくか、楽しみである。

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