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〜選択した記事〜

Vol.004

モロトフカクテルでパーティ〜荒れる移民家庭の少年たち〜 2005年11月13日

3 移民家庭の少年による暴動により、フランス全土で6500台以上の車が燃やされ、学校などの公共施設、バスなどが炎上、死者まで出た。ドミニク・ド・ヴィルパン首相は20分にわたりテレビで治安の回復を国民に約束し、各自治体の判断で強権を発動させる許可を発表。Couvre-feu クーヴル・フ、この場合、夜間外出禁止令である。12日間でけりがつかなければさらに延長となる。


先日から、衝撃的な数字および映像とともに毎日報道される移民地区の少年たちの暴動は、しかし、はっきりいってピンと来ない。なんだかアクション映画でも見ているようなのだ。パリ市内、特に私のようにど真ん中に住んでいる限り、観光客のあふれるこの街は安全そのもので市民生活が脅かされている気配はない。今晩も若者たちのたまり場シャトレで7時に待ち合わせをし、9時半に歩いて戻ってきたが、とくに変わったことはなかった。


フランス社会に向けた出口のない不満を扱ったマチュー・カソヴィッツ監督の『La Haine ラ・エンヌ:憎しみ』という映画を、私は見ていない。郊外のCiteシテ(移民用公団住宅つまりゲットー)でささくれる少年たちには興味なかったし、移民地区なんて別世界で足を踏み入れることもないと思っていたからだ。あれを現実と感じることの出来る人たちはほんの一握りだった。


それが今回の報道で、大部分の市民はこの国の安全への認識を改めたのではないだろうか。それにしても、毎日のテレビニュース、とくに外国メディアの報じ方はセンセーショナルすぎるきらいがある。日本からもメールで問い合わせがあった。それに対する私の答え−フランスの治安、そう、悪いみたいですね、でもパリは安全です。郊外だって、報道されたのは一部の特定地域だけ。友人の警察官ですら、毎日自宅でテレビのニュースを追いつつ成り行きを見守っているんですって。


火炎びんの「秘密工場」が見つかったとはいえ、今のところ、イスラム主義者との関連の可能性はなく、少年たちを操る組織もなさそうだ。犯行の仕方から、どちらかといえば、社会から教育から未来から落ちこぼれた少年たちの自己顕示欲がメディアで報道されるたびにあおられ、前日にまして被害数が増加するという状況だ。20時のニュースで自分のやった犯行が茶の間に流れ、海外のジャーナリストに取材される。今までろくに学校にも行かずくすぶっていたのに今は世界的な英雄だ。どんなにスカッとするだろう!彼らの行動はインターネットのブログに書き込まれる仲間同士の情報に左右されているというが、燃やされた学校がフランス人の一人もいないアフリカ人居住区だったり、政治的な意図もロジックもない。やり場のないエネルギーだけが暴発しているのだ。


1 少年たちの不穏な動きに不安を覚えていた市民らは「ゴロツキどもを掃除する」というニコラ・サルコジ内相に多大の支持を贈っていたが、この「racailleラカーユ:ごろつきども」という言葉は、不満やる方ない少年たちの暴動を誘発しただけだった。かつて、98年のサッカーワールドカップで移民出身者チームのフランスが優勝したとき、ジダンが国民的英雄となり、それだけで一気に内政問題が楽観化した。好々爺ジャック・シラクは、その著書『みんなのためのフランス』で「郊外地区の条件向上」を約束しておきながら、2002年の大統領選で移民2世たちの票のおかげで辛くも極右党首ル・ペンに勝ったきり、人気に甘んじて何の方策も講じてこなかった。


それをここに来て、ふところ刀の強力なサルコジ「清掃局」がDDTでも巻いてノミやシラミを駆除するかのような勢いである。一掃される側はかなわない。受け入れるだけ受け入れておいて移民問題をおざなりにしてきたフランス当局の締めつけに、若者たちが過激に反応したのだ。


2 彼らの武器は火炎びん。フランス語でCocktail Molotov、英語でモロトフカクテルという。スペイン独立戦争(1936−1939)時に発明され、武器の乏しかったフィンランド軍が1939年、対ソビエト戦で当時外相のモロトフ(1890−1986ビャチェスラフ=ミハイロヴィッチ・モロトフ、本名スクリャービン。モロトフはロシア語で”金槌”の意)を「歓迎」して命名した。第2次大戦中、戦車の破壊に威力を発揮、多いに活躍した。


現在では貧しいゲリラの使う武器である。10歳の少年が火炎びんを工作し、持ち歩く。材料も作り方もインターネットのサイトを見ればいくらでも書いてある。問題は、それを子供が隠れて作らなければならない社会である。ここは南米の革命戦線ではないのだ。ド・ヴィルパン首相は「家庭の責任」と言った。カクテルパーティで自己形成していく少年たちの親の責任をフランス社会はどこまで問えるのだろう。(工藤瞳)

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