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〜選択した記事〜

Vol.009

不思議な季節:復活祭の魚と卵 2006年04月18日

3月最後の週末に夏時間となり、長い長い冬が終わってようやく春が来た。今年の冬は特に寒かった。4月中旬になってもいまだに暖かくならない。本当ならもうぽかぽかしてきてもいい頃なのだが。それでもちょっと晴れ間が出るとつい薄着をしたくなる。けれども外に出てみると風は冷たく、いったいいつになったら暖かくなるのだろうと思う。


日本人の感覚だと、北国生まれの私でも、もう4月だからと冬物なんか片付けて春っぽい服装をしたくなる。ところがこちらには、"En avril ne te decouvre pas d'un fil"(4月に薄着はしないこと)ということわざがある通り、街行く人はまだ冬物のコートを着て首にマフラーを巻いている。気持ちだけでも春を感じたい私は冬物のコートはしまい込んでしまった。しかし、外に出ると凍えるから、何枚も春物を重ね着、という妙な格好で外を歩き回っている。


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というのも、この時期、どんなに気温が低くても植物は太陽の光に反応するのだろう、寒いどんよりした空の下で膨らんでいた木の芽がいっせいに芽を吹く。そして一度それが始まると、アッという間に街の景観が変わってしまうのだ。つまり、裸の枯れ木に薄緑の若芽が出たと思ったら、いつの間にか若葉が茂り出す。もう何年もここで春を過ごしながら、気がつくと街がすっかり緑に包まれ、その変わり様に目を丸くしては、ああ、今年も過ぎてしまった!と思うのだ。どうしてだろう? たった数日とは言え、私には不思議な季節である。

 まず、その一つに冬がとても長かったため、あるいは夏時間で1時間損するため(?)体がとても疲れているのか、四六時中眠くて寝ている時間が多いこと。しかも、4月初めまでは所得申告その他の雑事に追われて忙しいこと。今年は例年よりぐっと春の到来が遅く、そのおかげで復活祭の頃になってようやく若芽が出たぐらいだ。それでようやく今年は早春を見とどけることができたのだ。復活祭が近づくと街のお菓子屋さんにはチョコレートの卵や鶏、魚、ウサギ、貝などが並ぶ。私も小さいニワトリを一つ買ってみた。大きさは約5、5センチ。中に卵のつもりのチョコボールと魚と貝とミニミニウサギが入っていて楽しい。ニワトリの表面に金がまぶしてあって、6ユーロは高いか安いか・・・食べるとなると、やっぱり高い。いっそ食べずに飾っておこう。店頭には30センチもありそうなチョコレートのニワトリや卵が飾ってあった。楽しくて豪快だ。

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ずっと昔、フランス語の講座に通っていた頃、復活祭に子供たちが庭に隠された卵を探すエピソードがあった(たしか、le, la lesとかの人称代名詞の所だったと思う)。かなり大きな卵を庭の草の中から見つけるのが不思議で、いったい何の卵? と思ったものだ。先生がチョコレートでできていると教えてくれたかもしれないが、よく分からなかったし、あまり覚えていない。ずっとあとになって、復活祭に、卵のてっぺんに穴をあけて中身を取り出し代わりにチョコレートをつめる、と教わった時も、面倒なことをするものだ、と思ったぐらい。ちなみに、今もそういうチョコ入り卵がお菓子で売られている。


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復活祭Paquesはクリスチャンにとってクリスマスに次いで大切なお祭りだ。近くのレストランでも卵を吊るしてお客を迎えているし、カトリックの国ではクリスチャンでない者にも楽しい季節となる。今週、テレビのお料理教室では、毎日、復活祭用手作りチョコレート特集。今日はアーモンド入りの卵だった。チョコレートを湯煎にかけ、蜂蜜を混ぜ、かりっと全体を軽く焦がしたアーモンドを混ぜ、冷めたらおにぎりを握る要領で卵形にする。そして銀紙で包んで出来上がり。毎日、順番にさまざまなチョコレートの作り方を教わる。

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ところで、今ではもう慣れてしまったが、私は初め、ウサギはともかく、チョコレートで魚や貝というのが、何ともつながらなかった。においや味を想像していたのかもしれない。海とチョコというのが変に思えたのだ。そんなことを言うと、卵やニワトリやウサギだって納得はいかないが。どうもこれらはみな多産、豊穣の象徴らしい。紀元前からの土着の信仰がキリスト教に取り入れられたと聞く。冬が暗く長いだけに、春の喜びもひとしおに、「復活」「再生」「蘇り」をほんとうに実感させる。昨日まで素っ裸だった枯れ木にあっという間に緑の葉が生い茂り、花が咲き乱れるのだから。不思議な季節だ。

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