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〜選択した記事〜

Vol.029

オステルリッツ高架橋 2008年02月21日

前回のシャルル・ド・ゴール橋の目と鼻の先を通るのは地下鉄専用高架橋だ。二階建てのベルシー橋(2007年12月)と違って、この橋を通るのは地下鉄5号線の車両のみ。人も車も自転車も渡ることが出来ない。ウルトラモダンな飛行機の羽(シャルル・ド・ゴール橋のこと)と比べると、二重の放物線のアーチがそう感じさせるのか、アールヌーボー様式が絵になる橋である。

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橋のことをフランス語ではポンPontというが、隣の橋がオステルリッツ橋 Pont d’Austerlitz と呼ばれるのに対して、こちらはオステルリッツ高架橋 Viaduc d’Austerlitzと呼ばれる。ヴィアデュック Viaducは、辞書を見ると「長大橋」。同じようなフォルムで吊り橋になっていたシモーヌ・ド・ボーヴォワール歩道橋(2007年7月)は、架け橋を意味するパスレル Passerelle と呼ばれる。パリの橋のリストではパスレルが3本、ヴィアデュックと呼ばれるのはここだけで、あとの橋はすべてポンという。

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話は少しずれるが、川にかかっているわけではないけれどヴィアデュックと言えばすぐに「芸術の高架橋 Viaduc des arts」が思い浮かぶ。ちょうどこのオステルリッツ高架橋近くの12区で、バスチーユ・オペラの裏あたりから始まって、ドメニル大通り Avenue Daumesnil を南西方向に約1km、赤レンガの橋の下はおしゃれなカフェやギャラリー、様々なアート教室に、上はかつての鉄道線路あとに木々が植えられ、見晴らしのいいお散歩コースとなっている。所々にベンチがおかれ、界隈に住むパリの人の憩いの場所でもある。

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さて、セーヌに架かるヴィアデュックに戻ろう。パリにメトロが走るようになったのが1900年、その3年後の1903年に建設が始まり、1904年末に完成した。すぐ隣にオステルリッツ橋がすでに存在していたため、船の航行を妨げないよう橋脚は河岸のみ、あとは1本の柱もないすっきりとした鋼鉄のアーチ橋となった。長さ140m、幅8,6m、左岸のオステルリッツ地上駅から出てセーヌ川を横切ったあと、90度に大きく湾曲して右岸のケー・ド・ラ・ラペー地上駅へと入っていく。今では当たり前のようなこのカーブ、ジェットコースターみたいで当時の人にはかなりスリリングだったのではあるまいか。オステルリッツ駅は、北駅、東駅、サン・ラザール駅、リヨン駅、モンパルナス駅と並ぶ国鉄駅であり、RER(郊外)線も通っているため駅構内は広く、一日中人の流れが多いが、地下鉄駅ケー・ド・ラ・ラペーのホームはほとんど乗り降りする人がなく、ひっそりしている。近くにはたいしたオフィスもないが、朝のラッシュ時などに少しは込むのだろうか。

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石の橋脚や鋼鉄部分に施された優雅な装飾を見て、15区と16区に架かる地下鉄6号の通る鉄橋ビア・アケム橋に似ていると思ったら、なんと同じ人のデザインだった。ジャン=カミーユ・フォルミゲ Jean-Camille Formigue は1845年アルルで生まれた建築家で、1989年のパリ世界万博のプチ・パレとグラン・パレの装飾を担当した。この万博に向けてエッフェル塔が建築されたのだから、当時は鋼鉄の黄金時代だったというべきか。フォルミゲは「フォルミゲ・ブルー」という独特の鋼鉄の色で知られ、その面影が今でもパリのあちこちに残っているという。たとえば、一般の観光客がなかなか足を運ばない場所であはるが、ブーローニュにあるオートゥイユ植物園や、ペール・ラシェーズ墓地、ゴブラン織物博物館など。

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ところで、フランス人はしょっちゅうバカンスに出ているような気がするが、それもそのはず、夏休みやクリスマス、復活祭だけではなく、たとえば祝日が木曜日か火曜日だったらその間の金曜か月曜を休みにしてしまって連休をとるのだ。土曜日はもちろん休みだから、これで4連休となる。そういうとき、「ポンをする faire le pont(休日に橋を架けるの意)」と言う。火曜日と木曜日が両方休みならヴィアデュックとなって、1週間まるまる休みの長大橋となるわけだ。これでは稼働日がますます減ってしまうけれど、さすがにそれはあまり聞かない。

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