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〜選択した記事〜

Vol.006

Bonne Annee 2006 ! そら豆がもたらす幸運 2006年01月13日

元旦の次の日曜日、午後2時ごろ、フランス在住30年のY氏から電話をいただいたとき、新年の挨拶も早々に「例のあれ、食べてる最中?」と聞かれた。「あ、もう少しあと友人宅で」前日に日本から舞い戻ったY氏は名前を思い出せなかったらしいが、私は「あれ」がなにかすぐ理解した。ちょうどその日の午後、近くの家で食べることになっていたから。


3 日本のお正月には黒豆が欠かせない。こちらでは誰もが、「そら豆」の入った伝統的なこのお菓子で一年を始める。名前はGalette des rois(ガレット・デ・ロワ:王様の焼き菓子)。アーモンドペーストをパイ生地で包んで焼いた単純なものだが、じつは、中にfeve(フェーヴ:そら豆)が一個入っている。種を明かせば、これはそら豆ではなくて、陶製の小さな人形だ。フェーヴにあたった人がその日のroi(ロワ:王)あるいはreine(レーヌ:王妃)になって金の冠をかぶり、祝福される。一年間、幸運に恵まれるとも言われる。そんなわけで、1月いっぱい、あちこちのパン屋さんの店頭に並ぶさまざまなサイズのガレット・デ・ロワを買うと紙製の冠がついてくる。1月はどこの家庭でもこれを食べて、誰かが王冠をかぶっている。


このお菓子の由来はどこから来たのだろう? 


6世紀、ブザンソンの教会では、コインを入れたパンをひいた者に参事会の責任を任せていた。それがパンからガレット(焼き菓子)またはブリオッシュ(菓子パン)となり、金貨やそら豆を入れるようになった、という説がある。が、金貨はいいとして、どうしてそら豆? レンズ豆やひよこ豆ではいけないの? 調べてみると、そら豆入りパン/お菓子の起源はかなり古いものだった。


ローマ時代、キリストの誕生を祝うこの時期には7日間連続して祝祭が催されていた。金持ちも奴隷も平等に、乾燥したそら豆の入ったお菓子で道化の王様を選んだそうだ。すでにそら豆である。というのも、コロンバスがアメリカからジャガイモを持ち帰るまで、そら豆は人々の大切な栄養源だったのだ。春一番に芽を出すこの豆の形がまた、胎児にも似ていたため、自然からの贈り物、「生命」のシンボルとなった。


2 新年に友人にお菓子を送るようになった中世では、それがまた年貢を納める時期と重なったので、Gateaux des rois(ガトー・デ・ロワ:王様のお菓子)と呼ばれた。領主にもそれを捧げなければならなかったのだ。

1801年、l’epiphanie(エピファニー:公現祭、三王来朝の祝日)が1月6日と決められた。三王とは、占星術師メルシール、ガスパール、バルタザール、神の子キリストを訪ねて来た東方の三博士である。この宗教的な祭礼の日に、下々の者は乾燥したそら豆、裕福な者は銀貨、金貨の入った大きな焼き菓子を食べ、それがあたった人を王や王妃に選んで祝福した。1870年に陶製のフェーヴが登場、その後、プラスチックや、santon(サントン)と呼ばれる小さな土人形も出て来た。イエスやマリア様や三博士だったのが、今では動物やマンガのキャラクター、車、家、その他さまざまあって楽しい。親指の第一関節ほどのオブジェが、いまやコレクションの対象にもなっているとか。


1 映画『シェルブールの雨傘』に、カトリーヌ・ドヌーヴが紙の王冠を被せてもらうシーンがあるらしい。『ロバと王女』もドヌーヴだが、みすぼらしい娘がうっかり指輪を落として焼いたお菓子を王子様に届け、結局それがきっかけでお妃になるシンデレラ物語である。入っていた指輪に合う指をした娘を捜すのだから、そら豆とは直接関係がないけれど、こういうお菓子が存在したからできた話かもしれない。そういえば、布団の下に豆が一個入っているのが痛くて寝られない、と言ったお姫様の話、あれもそら豆だったのかしら?


さて、友人の家では私がフェーヴにあたった。じつは私が切り分けたときにナイフに手応えがあって、どこにフェーヴがあるか分かってしまったので、密かに自分がと思っていた。一同、ちょっとがっかり。よし、では伝統的なやり方でやり直し、ということになった。つまり、一番若い人が目隠しをして(本当はテーブルの下に入って)、切ったガレットを「誰に?」と問われたら、その場の人の名前を言いながら次々に割り当てるのである。


かくして、幸運のフェーヴが私のもとにやってきた! 2006年の幸先はいいかもしれない。(工藤瞳)

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