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〜選択した記事〜

Vol.013

田舎の日曜日:パリを出て田園へ 2006年08月23日

7月中、連日35度を超える暑さが続き、天気予報でもfournaiseフルネーズ(かまどの意)という言葉が盛んに用いられた。たしかにまるで石焼釜の中にいるみたいな日々、古い石造りの建物は夜中も蒸し暑さが抜けず寝苦しかった。そんな時、田舎の古い家を手直し中の友人に、そろそろ住めるようになったから遊びに来ないかと誘われた。あの熱波の最中でも彼女の家は25度を超えることはないという。庭でランチを食べ、ハンモックでお昼寝し、夕方も庭でアペリティフ・・・なんと風流にして優雅。パリから車だったら2時間、列車で来るなら駅に迎えに行ってあげる − 何度も誘われたものの7月は忙しくて、ついに彼女のうちを訪ねたのは8月に入ってから。その頃はあの猛暑が嘘のようにすっかり涼しくなってしまったけれど。

 「田舎の日曜日」というベルトラン・タベルニエの映画があった。ふだん都会のアパートに住み、週末は田舎の家で過ごすことには誰でもあこがれるはずだ。眺めのいい高台にプール付きの大別荘とまでいかなくても、小さな田舎家を安く買って自分の好みに改造する、そんな夢を持っている人は少なくない。必ずしも生まれ故郷でなくてもいい。どこか気に入った土地の古い家屋を購入し、何ヶ月も(しばしば何年も)労力と情熱を傾け、自分だけの田舎の家を作り上げる。そのための部品も設備もふんだんにあることは前に述べた。(第10回を参照のこと)

 ブルゴーニュ出身の彼女も、地理的には何の知己もないEureユール地方(パリ西方約200km)の歴史建造物を半年前に手に入れ、それをコツコツ手直し中。ゲストルームが4つもあるというので驚いたが、小さな村の街道筋にあるこの物件は、かつて逓信局兼旅籠屋だったらしい。40代後半の彼女は骨董アクセサリーを売買しているが、貯金があったのだろう。それにしても、夫も子供もないのにこんな家を買って自身で改造しようなんてたいしたものだと思う。以前、私もちょっとブリコラージュにかぶれたようなことを言ったが、都会の小さい面積のアパートの内装ならまだしも、荒れ放題の庭を自分で整備し、こんな大きな古い家屋の配線や配管に始まって、壁に穴を開けて台所を作り替えるなんて、私には到底考えられない。

着いて分かったことは、各寝室だけはなんとか整っていたものの、まだまだ改造途中で、ようやく最近台所が使えるようになったばかりだということ。ついこの間までは庭でバーベキューをしながら人を泊めていたとか。聞くと彼女は、古い家屋をどう住めるようにするかというテーマで、4日間のスタージュstage(研修セミナーの意)を企画、実行したのだった。専門家の友人を講師に招き、メンバーを募り、参加者6人に庭掃除と家の壁直しなどをさせたという。彼女は全員に食事と寝る場所を提供し、研修者は講師料を支払って講師に従いながら家の片付けや庭の手入れをした。皆ブリコラージュ好きで将来は自分も、という人たちだから、和気あいあいと楽しく家直しが進んだようだ。地方の歴史建造物ということもあるけれど、職人を雇うよりは安上がりだし、女手一人では限界がある。なかなか賢いやり方だ。じつは私たちも一日、壁にへばりついている蔦はがしをさせられた。労働は楽し・・・。

さて、案内された部屋の窓からは隣人の庭が見渡せ、朝は雄鶏のコケコッコーで目が覚めるわよ、と言われた。なつかしい。田舎の朝を思い出す。翌朝、庭に座っていたら、「生みたての卵、いる?」という声が聞こえてきた。見るとお隣のおばさんが生け垣からひょいと顔を出している。友人は喜んで隣に卵をもらいに行った。フランスでも日本でも田舎はどこも同じだ。

夕方、近くに住むという別の友人が庭で採れたトマトをかごいっぱい持ってきた。この人もパリの住人だが、離婚経験者で、娘たちと週末を過ごすために家を買ったとか。庭でアペリチフを傾けるが、彼女の手は泥だらけ。「田舎はこんなもんよ」日に焼けて、外見はまるで農婦の彼女、じつはサルコジの下で働く地方公務員なのだった。

翌日、その彼女の家にお茶を飲みに行った。やっぱりまだまだ未完成の納屋は、インテリア雑誌のグラビアに出てくるようなすてきな内装だった。ところで、広い畑の野菜の世話をしてくれるのは近くに住むお父さんだということ。週末だけ田舎で過ごすのはすばらしいけれど、手間がかかる。たまに遊びにくるだけでいいかな、やっぱり。帰りの車中、牛がのんびり草を食んでいるのを見ながら私はそう思った。

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