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〜選択した記事〜

Vol.035

サン・ルイ橋 2008年10月30日

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前回のルイ・フィリップ橋からサン・ルイ島に入って50mほど行くとすぐに短い橋にぶつかる。通りから右斜め30度ぐらいの角度でシテ島にのびている。幅16m、長さ67m、セーヌ川の中州となっているサン・ルイ島とシテ島を結ぶ唯一の橋でもある。橋の手前が小さな広場になっていて、左右にカフェとブラッスリーがあり、日だまりのテラス席はいつも人で大にぎわいだ。左手のアイスクリーム売り場はつねに長蛇の列。誰もが知っているベルティヨンだ。ちなみに本店はサン・ルイ島を縦に走る唯一の通りサン・ルイ・アン・イル通りの中程にあり、その他にも2店ほどある。秋冬にだって行列ができるほどの人気店だから、ここが込んでいるときは、少し歩いてほかの売り場に行ってみるといい。


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サン・ルイ島が二つの小さな島から生まれた話は前にした(2008年5月Vol.0031)が、当時から、この島の南側、つまり5区/シテ島に面した箇所は、川の流れが激しいために船の通行にも橋にもちょっと微妙な場所だった。今架かっている鉄筋製の「サン・ルイ橋」は1970年に完成したが,何度も建設されては立て直されたあげくのことだった。



1)最初の橋はサン・ランドリ橋といい、サン・ルイ島ができて間もないころ(1630年)、現在の位置よりさらに斜めに、サン・ルイ島の突端からシテ島のフルール河岸とウルサン通りとシャントル通りの三叉路に向けて架かっていた。それが押し寄せた人の列に耐えられず崩壊し(1634年)


2)1656年にできた次のアーチ橋は川の氾濫で翌年崩壊


3)1717年建設された7つのアーチの「赤い木橋」も洪水で崩壊(1795年)


4)1804年にできたアーチ橋は重みでたわんできたために1811年に取り壊される


5)次に二つのアーチの橋が渡され(1842年)


6)それが吊り橋となって「シテの歩道橋」と呼ばれた


7)1862年金属製の橋が二つの島を結ぶものの、1939年、12月22日、自動車が爆発して、20人がセーヌ川に飛び込み、3人が溺れ死ぬ


8)その後、かなり見栄えの悪い代替の橋が架けられた(1941年)。ドイツ軍に半ば占領されていた戦時中のことでもあり、とりあえず必要に迫られてのことだろう


9)この権威ある歴史地域にふさわしい、けれどもノートルダム大聖堂とのバランスを崩さない質素で控えめな現在の橋の建設が始まるのは1968年、あの学生運動のさなかだった。


このうち、2)が忘れられ、5)と6)が同じものとされたのだろう、現在が7番目の橋とされている。


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17世紀に誕生したサン・ルイ島には、もともと徴税官や司法官、貴族たちが瀟洒な館を建てて暮らしていたが、時代が下がってボードレールやカミーユ・クロデールなど作家や芸術家も住んだ麗しいファサードの建築物が眺められるようになった。パリのど真ん中なのに小さな村のような牧歌的ムードをもつこのあたりには、日曜も開いているかわいいブティックやギャラリー、レストランが目抜き通りに軒を並べる。景観を損なわないように配慮されているためか、パリのほかの観光地のような安物のお土産売りもいないし、値段も手頃、客を迎える側はヒステリックでもなく、スノッヴでもない。どこか余裕があるような気がする。サン・ルイ橋からシテ島に渡るとすぐに、世界遺産であるノートルダム大聖堂の裏手になっている。四季を通じて、観光客はもちろん地元の人たちの人気の散歩コースとなっている。


歩行者および自転車専用のこの橋はごくシンプルなデザインだが、週末ともなると大道芸人の貸し切り舞台と様変わりし、それを囲む人の輪で通るのもままならないくらいの込みようだ。自転車通路があるのにそこを自転車で通る人は芸人にしかられてしまう。かつて中世の橋がそうであったように、橋は人が渡るだけでなく、劇場としても機能しているのである。毎週やってくる芸人たちには仁義があるらしい。お互い場を決めて荷物を置きながらも、ほかの芸人がやっているときには邪魔をしないでおとなしく順番を待つ。橋が短いからというのもあるが、観客の取り合いをしないためだろう。


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サーカスのピエロ、道化をフランス語ではクラウンというが、クラウンはふつう、鼻に赤いピンポン球のようなものをくっつけておかしな身振りで人を笑わせる。サン・ルイ島にやってくるフェリックス(本人曰く17歳半)は、なぜか、スキンヘッドの頭に赤いピンポン球をつけている。スキンヘッドにあのピンポン球をどうやって固定しているの? と思ってよく見たら、剃り残し、丸くカットした地毛を赤く染めているのだった。だから飛行機乗りの帽子をその上にかぶっても平気なのだ。その彼の芸と言えば、自転車の曲芸とおしゃべり。もう何年も来ている常連だ。


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フェリックスの出し物が終わると、隣にスーツケースを置いていた背の高い北欧系の青年がフランス語と英語で早口で自己紹介しながら人集めをする。フランス語には英語訛りがあるものの、じつに流暢な、しかも笑いを取りながらの話術に引きつけられ、人が次々集まってくる。彼は本物のジャグラーだ。


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ボール、トーチ(火の棒)、クラブ(ボーリングのピンのようなもの)を空中に、胸の前で、背後で、足をまたいで、自在に舞わせる。その動径は美しく、うっとりさせられる。それが弾丸のようなおしゃべりと同時なのだ。事前に訓練させられている観客も拍手やはやし声で参加する。素人の子供をアシスタントに使った軽業も、アドリブが混じってなかなかスリルに富み、ムードは満点だ。彼は1月に劇場での出し物を準備中とか、その宣伝も忘れない。


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そのあと、すぐ隣で移動オルガンとコントラバスとサックスなどで編成されたニューオーリンズスタイルのジャズバンドの演奏が始まった。今日はミュージシャンが二人で、タキシードを着た黒人のシンガーがマイクの代わりにメガホンを持って歌っている。自分の影と遊んでいたパントマイムのおじさんが、おびえた表情で見つめる中国人の女の子の周りをぐるぐる回っている。結婚式の流れだろうか、盛装した一行が写真撮影にやって来た。その人ごみを横に見ながら橋を渡り切ると、シテ島の後方、フルール河岸にぶつかり、ノートルダム大聖堂の後ろ姿が眼前に広がる。


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一方の橋のたもとには絵描きが作品を並べて、通行人と話し込んでいる。反対側の角でセーヌ川を背にボサノバを弾き語りしている歌手も常連だ。今日は隣にコントラバス奏者がいる。あれ、ヒュ〜ン、ヒュ〜ンと鳴っているこの音はなんだろう? オンド・マルトノに音は似ているけれどあんな大掛かりな楽器であるわけはないし、当の彼が演奏しているのはコントラバスですらなく、細長いものを足で抱えているだけ。楽器の形もなんだか変だぞ。え、まさか・・・近づいてよく見ると、やっぱり! なんと大きなノコギリの背に弓をあてて、「イパネマの娘」の伴奏をしていたのだった! 音階を熟知したかなり高度な演奏で独特のムードを醸し出している。


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通り道、人の行き交う場所、出会いの場所、パフォーマンスの舞台、物売りなど、姿こそ地味で目立たないサン・ルイ橋は、本来の「橋」が持つ機能を十分上回ったクリエイティブな空間だった。

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