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〜選択した記事〜

Vol.036

アルシェヴェシェ橋  2008年12月05日

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 パリのノートルダム大聖堂はシテ島に建つフランスカトリック教会の総本山だ。世界遺産として広く知られているため、信者でなくとも世界中から人が訪れ、建物の中も外もつねにごった返している。荘厳、かつ勇壮、などと形容されるゴシック建築の最高傑作のすばらしさは、レースのように細やかなレリーフの刻まれた優雅で格調高い正面だけではわからない。この建物の迫力は後方の予想もつかないほど奇怪な姿にもあり、その変則的なフォルムには誰しも度肝を抜かれる。建物をささえるために構造上そうなったのかも知れないが、この禍々しい(?)後ろ姿は、華やかな前姿とともに、近寄りがたい聖域をかたちづくる一種のバリアーを放っているように思う。


 この姿をはじめて見たのはずいぶん前だったが、わたしは、その数年前に封切られたアニメ映画「風の谷のナウシカ」を思い出し、巨大な昆虫の王蟲(オーム)がそこにいるのかと思った。漫画作品の中の、腐海に棲むテレパシー能力を持つ神聖な生き物と、フランスの信仰の中心でありパリ発祥の地に建つ「ノートル(私たちの)ダーム(貴婦人)」すなわち聖母マリア様。カトリック信者にはとんでもない不謹慎な連想ながら、以来、私の中ではこの二つのイメージが混在し、それらに備わっているかもしれない超自然的な影響力(人が生きる力をそこから汲み取れるような)を思い比べてみたりしている。旅人ではなく住民として何度見ても、建物の内部に入ればすばらしいステンドグラスのあの丸窓が王蟲の目であるかのような錯覚に陥っては、やはり異様な建物だと思わずにはいられない。


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 冒頭からすっかり話がそれてしまった。

 それで、アルシェヴェシェ橋。セーヌ川の中州になっている二つ目の島、シテ島からセーヌ左岸に架かっているこの橋の上に立つと、こうした「我らが貴婦人」の畏れ多くも厳かな後ろ姿を目の当たりにできる。今にも動き出しそうなノートルダムが真後ろに見えるのがジャン23世広場。位置的に言うとシテ島のはじで、ノートルダム大聖堂の背後になるため、どうしても島のどん尻のような錯覚を起こすが、セーヌの流れからすると、こちらが上流に近いのでシテ島の頭に当たるのだ。サン・ルイ橋から続く道路の名前も、橋と同様「アルシェヴェシェ」河岸だ。とはいうものの、水の淵にあるわけではなく、シテ島のしっぽ(実際は上流)と言うか、とさかと言うか、先端が小さくとんがった三角形の土地が公園になっていて、右手にサン・ルイ島が見える。(そこにはまた戦争中に強制収容所で亡くなったユダヤ人を悼む記念館が建てられている。)


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 アルシェヴェシェ河岸を100メートルほど行き、セーヌ川の左岸に渡るのがアルシェヴェシェ橋(Pont d’Archevêché)、大司教の橋という意味である。1828年に完成したこの橋は、三つのアーチ(15m、17m、15m)をもつ石造りだ。長さ68m、幅はパリの橋の中では一番狭い11m。橋の高さも低く、ときには船の通行に差し支えるほどだ。ついこの9月にここで死亡事故があったとか。セーヌ川の遊覧船バトームーシュがスピードオーバーのあげく停泊していた船にぶつかり、40歳の男性と6歳の男の子が溺れて命を落としたのである。セーヌ川での死亡事故はこの20年間で3回あったが、その一つがアルシェヴェシェ橋の下で起きたことなのだった。聖域のはずがいったいどうしたことだろう。しかし、時速12kmと決められていたのをスピード違反して追突したのだから、人災もいいところ。聖母マリア様も愚かな人間の暴走は守りきれなかったのだ。


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週末ともなると絵描きが集まりキャンバスに向かって筆を走らせたり、自作品を売ったりしている。とても寒い日で、あまり人通りもなかったが、かなり年齢のいった女性の絵描きがそらっとぼけたマンガチックな絵を売っていた。ご本人は一見怖そうだけど、案外ずっこけたところがあるのかもしれない。ローラーブレード嬢がにぎやかにやって来た。14歳の仲良し3人組のはじける若さ。思い思いの楽しいおしゃれが灰色の空の下に彩りを添えている。


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 橋を渡ると5区だ。ヴィエーブル通り、メートル・アルベール通りの先がサンジェルマン大通り、右手に地下鉄駅のモベール・ミュチュアリテがある。今はもう引っ越してしまったが、元バレエダンサーの友人がサンジェルマン大通りに面した建物の、正真正銘の屋根裏に住んでいた。シャワーなし、トイレは外の廊下の先。12平米もあったろうか。彼女は私よりも少し年上で、出会ったときには和紙に絵を描く人だった。もちろんそんなもので身を立てられるわけもなく、もとはいいところのお嬢さんが、なぜ、こんな女中部屋に甘んじているのか分からなかったが、幼い頃からバレエしか知らなかったので、踊ることが出来なくなって途方に暮れ、極貧生活に甘んじていたのだ。品があり、知的文化レベルも高く、ものを欲しいと思わない人だった。週末には実家に帰る学生ならいざ知らず、いい年をした中年女性がお風呂もトイレもないマッチ箱みたいな小部屋に8年も住み続けるなんて、まず無理な話だと思う。ご存知の通り、この国には銭湯なんかないのだから。その彼女が言っていた。「わたしの窓にはいつもノートルダムがいてくれた」


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彼女はノートルダムを独り占めしていた。そして毎朝、いつもアルシェヴェシェ橋を渡って教会に足を運ぶのだ。不思議と彼女の部屋から俯瞰で見るノートルダムの後ろ姿は、真後ろで見たときのような奇異な感じはしなかった。とくに夜、ライトアップされ闇に浮かび上がる姿はじつに壮麗で美しく、独特のスピリチュアルな「気」に包まれていたように思う。この界隈の屋根裏に住む貧しくうちひしがれた人たちがどれだけそのオーラに守られていることだろう。桴海=毒の森の空気を吸った人間が、治癒能力を有し慈しみの感情も持つオームの分泌する「漿液」で肺を満たすことによって再び呼吸ができるように。

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