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〜選択した記事〜

Vol.011

ヴェルディのレクイエム:奇跡の聖人が眠る教会堂で 2006年06月20日

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初夏の兆しが現れ始めた日、東京からの知人の誘いにのって、パリ北部郊外の大教会堂で催されるコンサートに行くことになった。演奏はパリ・ラジオフランス交響楽団。わざわざ日本からチケットを(!)、しかも第一列に席を取って聞きにくるという彼女は、指揮者チョン・ミュンフンの追っかけ。その席を一年前から予約していたが、いざ日にちが近づいてみると一緒に行く人がいないので、現地にいる私に声がかかったという次第だ。じつは彼女、何度もパリを訪れているものの、行ったことのない地域に夜一人で行くのが不安だったのだ。私も不案内なのは同じだったが、気候もいいし、ちょうど体が空いたので一緒に出かけることにした。めったにないお出かけとばかりにシックに装い、夜は寒いかもしれないから長袖で、しっかりお化粧をして。

ところが、あろうことかその日は(というか、じつは日常茶飯事)、地下鉄の一部ストでかなりの間引き運転のため、北方面行きは25分に一本の割合で来る電車がすべて超満員だった。次を待っても空く様子なし。おまけに熱気で蒸し暑くクーラーのない車内に、私は一瞬怖じ気づいた。だが、この時間、パリのタクシーは当てにならない。私たちは背中を押されながら、乗客の波に身を預けた。

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さまざまな国籍や肌の色や生活レベルの人がごっちゃになった車内は、スリも活躍不可能なくらいに込んでいた。走行時間より各駅で人が乗り降りしドアが閉まるまでの時間にとられ、目的地まで長かったこと!せめてもの救いは、私の周りに体臭の強い人がいなかったことである。この頃、フランス人も清潔になりました(失礼)。これが今から20年前ならこうは行かなかった。街ですれ違っただけで体臭が匂ってくる人もいたのだ。「地下鉄のザジ」というレイモン・クノー原作の小説の冒頭に、駅に迎えに来たザジの伯父さん(映画ではフィリップ・ノワレ)が、駅ホームにいる人たちの強烈な匂いに閉口する場面があったではないか。

とにかく目的の駅に着いた時は彼女も私も、お化粧がすっかり流れ落ちてゆでダコ状態だった。さらにコンサート会場に走って、しかも最前列へ。オーケストラはすでに所定の位置で待機していた。案内されて密かに席に着いたつもりでも、目立たないはずはない。私たちが席に着いて間もなく指揮者が男女二人づつのオペラ歌手を伴って登場。しばしの静寂のあと、指揮棒が振られた。ひんやり冷たい教会の中でレクイエムが始まってからも、私たちの体からは湯気が出ていたのではないだろうか。

オーケストラの演奏を最前列で聴くのは、純粋な音楽好きとしては失格なのだと思う。特にその日のコンサートは教会に設けられた舞台だったから、聴衆は教会の床にパイプイス、演奏者は一段高い舞台、そして指揮者はいっそう高い指揮台の上だから、私の目の前にあるのは、バリトンだかテノールだかの歌手(ぎりぎりに駆け込んだためプログラムもなく、私にはそれが誰か分からない)のエナメル靴だった。「ミュンミュンさま」の指揮する姿にうっとりの友人はだから、首が痛いほど上を見上げているのである。常に最前列を選ぶのでコンサートのあとはいつも首が痛いそうだ。それでも大満足。その気持ちは分かるような気がする。れっきとしたメロマンmeroman(音楽愛好家の意)の彼女は、その日の指揮者も演奏者も歌手もすべてなじみの人らしく、同じ曲を何度も聴いたりしているからこそ、指揮者の動きに惹かれるのだろう。一方、音楽的教養の薄い私にもやはり、楽器演奏者やオペラ歌手の顔を目の前で観察するのは心地よく楽しかった。感動を分かち合えるような気がする。後方の楽器は無理でも、全面に陣取っているヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ奏者たちが4種類の声で歌われるレクイエムのさまざまな場面に高揚する顔を見比べた。そんなわけで、レクイエムが終わった頃、私もすっかり首が痛くなっていた。

ところで、このコンサートはFestival de Saint-Denis サン・ドニ音楽祭の出し物の一つ。この大教会堂の写真を取るため、再び夕暮れに訪ねた。日曜日なので、乗換駅も、あの込み合った車内も嘘のようにガラガラ。大聖堂に着く。本来なら正面が入り口だが、あの時は滑り込みだったので裏から入った。サン・ドニ(ドニ聖人の意)はローマ時代に迫害を受けたカトリック司教で、拷問の末に首を切られたが、当時のCatulliacumカチュリアキュム(パリ北郊外)までその首を手にして歩いたという伝説の人。そこで埋葬されてから数々の奇跡が起こったとか。

面白いことを思いついた。位置的にこの場所はパリの真北にあたる。つまり、自分の住んでいる付近まで帰るには、ただまっすぐ南下するだけでいいのだ。まだ夕刻の8時半だ。サン・ドニの歩いた道を逆にたどってみることにした。昔のパリの限界だったサン・ドニ門にたどり着いた。ここを通る頃には日が暮れたが、全行程約2時間半。足が痛い。何キロ歩いたことになるのだろうか。切られた首を手にこの距離を歩くことは、やはり聖人にしか出来ない芸当だ。

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