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〜選択した記事〜

Vol.008

トロンプ・ルイユ − 街の壁でアートする遊び 2006年03月24日

アパートの外壁に描かれた本物そっくりの窓。その写真を撮るため散歩に出たけれど、いざカメラを持って出かけてみたら見つからなかったーーある人からそんな紀行エッセイが届いた。


そういえば、かつて私が住んでいたリヨンにはあちこちに壁画があった。有名なホテル Cours des Loges の改築風景や、街の名士がそれぞれ姿を見せるバルコニー、坂の多い旧市街で階段を昇る若い親子。それらの絵はトロンプ・ルイユ(だまし絵)と言われ、観光名所になっている。彼にそんな返事を書いた日、偶然にも、TVでリヨンのトロンプ・ルイユが映された。


“トロンプ(trompe騙す)・ルイユ(l'oeil目)”は絵画の技法の一種で、目の錯覚を利用し、二次元のものを三次元に見せかける遊び。絵画の一ジャンルとして人気がある。この技法で描かれた壁画のことをそのまま「トロンプ・ルイユ」と呼ぶ。一方、壁画全般をフレスクfresque(イタリア語のfresco=新鮮から)と呼び、漆喰の壁に水溶性顔料で描くフレスコ画法が中世から用いられてきた。18世紀、室内の壁や天井に架空の窓や柱、装飾パターンや風景を描くのが多いに流行り、トロンプ・ルイユは建築に夢を与えた。現代では、壁画が街角に登場し、アートとして道行く人の目を楽しませている。パリでもたまにフレスクを見かけるけれど、トロンプ・ルイユはリヨン名物だとばかり思っていた。

二日後、たまたま12区のはずれにある友人のアトリエを訪ねたときのこと。前方に緑豊かな植物園があり、かなり高い位置のバルコニーに夏服の人が見えた。冬の雨模様の中、あまりに鮮やかなそれは、すぐに壁画だと分かったけれど、これはまさしくトロンプ・ルイユ! 偶然が二つも重なってみると、例の彼が見損なったのはどんな絵なのか、にわかに気になってきた。


調べてみると、全国各地に相当な数の壁アートがある。リヨン以外で有名なのはカンヌ。映画祭の開催される街らしく、あちこちの壁に各国の名優や撮影風景が描かれ、カンヌ名物だとか。しかし、ネット上のイメージを見た限り、人物に背景がなく、三次元に見せかけるトリッキーな構図もない。やっぱり、だまし絵はオヤッと思うような不思議なところが欲しい。何もない壁に窓や風景を描いて、そこに住人を登場させ、彼らの生活までも描いてしまうのが、この遊びの楽しいところなのだ。


ところで、こちらでは都心部の建築がほとんど同じ高さで蛇腹のように壁でつながっているため、建物と建物の間に隙間というものがない。絵を描ける空間がないのである。また、あったとしても環境規制された都市の景観上、インパクトの強い壁アートは受け入れられないのだと思う。というわけで、パリでは、それらはポルト近辺(街の外れ)に位置しているのだった。


私はおぼろげな住所をたよりに、さっそく、パリのトロンプ・ルイユの探検に出かけた。



ポルト・デ・リラ近辺:猫を助ける消防士。この壁は縦に長過ぎて1枚におさめることができなかった。とても平面とは思えない迫力があるのは、実際にあった大火災をもとにしているからか。

ミニ中華街ベルヴィル近く:事件の手がかりを拾う探偵。3D効果ゼロと思いきや、左上方に犯人がいて、別の壁にその犯人のメッセージらしき看板「言葉に気をつけろ)をかける工事人が二人。


サンマルタン運河:背の高い木といかにも本物と思える楽しい窓たち。

オーベルカンフ近く:楽しい色遊びはキュビスムの影響を強く受けたシュルレアリスム風、というより、ロシアアヴァンギャルド風。

ポルト・ド・ヴァンヴ近辺:映画「死刑台のエレベーター」のコミック版? どこ吹く風の猫や緑豊かな中庭が必死でロープにしがみつく男と好対照。


せっかく訪ねたのに取り壊されていたところがあった。ネット上で絶賛されていた(2004年付)だけに惜しまれるが、これで分かることは、トロンプ・ルイユは誰もが通りがかりに鑑賞できる楽しい壁画アートであるかわり、都市計画に従って消える運命にある、ということ。地元の許可を得て公共の場に作品を残す作家たちも、期限付きアートであることは承知の上だろう。しかし、美術館に温存されコマーシャライズされることがないからこそ、トロンプ・ルイユは楽しくダイナミックな遊びと言えるのだ。

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