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〜選択した記事〜

Vol.017

灰色から一瞬バラ色に − 空を眺める人 2006年12月18日

この季節の天候の悪さには憂鬱になる。冬なのだからお天気がよくなくて当たり前だが、曇天のパリ(灰色なのは一年中?)の空の下で寒さにさらされ、さらに雨に降られると、泣きっ面に蜂だ。ぽつぽつ、パラパラ、しとしと、雨量は少ないが、冬の雨はわびしい。たいてい朝方に降ってお昼過ぎに上がるか、降ったり止んだり。雨水はアスファルトと違ってでこぼこした石畳の表面に残り、濡れた路面がついに乾かないまま一日が過ぎることも多い。晴れ間が出ても湿気を含んだ日陰の通りは寒く、足下から寒さが忍び寄る。「底冷えのするヨーロッパの冬」などと言われるのは、日照時間の少ないせいなのだ。


それでも今年は秋からずっと好天が続き、例年よりはずいぶん暖かい。雪不足を心配するスキー場の懸念を別にすれば、家に引きこもりがちなこの季節に気温があまり下がらず晴れの日が多いのはありがたい。ノエル(クリスマス)シーズンの飾り付けも美しい街を歩く足取りが軽くなる。雨が上がったある午後、カメラを持って外に出てみた。

数年前出会ったロシアから来た青年画家が、ピンクがかった灰色の雲とブルーの青空をバックにした人物肖像画をよく描いていた。少女、若い女、壮年の男と人物が変わっても、背景にはいつも青い空にもったり浮かぶ薄ピンク色の雲。キッチュとも言える不自然な作風を彼の創造と思った私に、彼はそれがパリの空の特徴だと言った。今、私の目の前にそんな空があった。

ベルギーのシュルレアリスト画家ルネ・マグリットが白い雲の浮かぶ空をテーマに様々なオブジェを描き出したり切り抜いたりしている。ロシア人の彼の育ったカザフスタンにはなかったのかも知れないが、青空に厚い雲がかかる空はベルギーや北フランスの空の特質なのだろうか。今見ている空は、マグリットの平和な空とはちがうが、雲が薄紫の何とも言えない色合いになって、ノートルダムを金色に輝かせ、見事な景色だ。
日本にもこういう雲があったろうか。なんだか思い出せない。東京ならば寒くても乾燥し、好天が多いけれど、私の生まれた秋田県横手市は豪雪地域だから、この季節は曇天と決まっていた。今にも泣き出しそうな冬の空は灰色一色でその度合いが濃くなると、白いものが降ってきて、外でうろうろなんかしていられない。テラスのあるカフェなどもちろんあるわけなく、外で暇つぶしせずに用事が済んだらとっとと家路を急ぐだけ。それはそれで、厳しく単調な冬を乗り越える覚悟のようなものが芽生える。そのかわり晴れると雪の白さに太陽が反射して光があふれ、雪にまみれて遊んだものだ。
だが、いつも灰色で骨身に沁みるこちらの寒さは、まさしくボードレール言うところの「パリの憂鬱」の世界。この国には鬱病患者が多いそうだ。分からないでもない、この絶望的な灰色の空模様では。ところが、毎日がそんなでありながら、時々、このように、まるで舞台装置のような幸せな景色になるのだから、エトランジェの私はハッと息をのむ。なんて眩く美しいのだろう。こんな晴れ晴れしたときは、眺めのいい場所に行ってみたくなる。

ポンビドーセンターのエスカレーターはガラス張りなので、上に昇るに従ってパリの景観が開けてくる。途中にいくつかエキスポ会場、最上階にはカフェレストランがあり、ばかでかいパイプのような各階の廊下(ド・ゴール空港ターミナル1のようにチューブ状)からも外を見渡せる。このセンターができた当時は、誰でも無料で最上階まで昇れたはずだが、いつの頃からか、階上へはすべて有料になってしまった。

ここからの眺めはまた格別だ。ふだん地上から見えないところまで見渡せ、不思議な気分にさせられる。空の色がブルーがかっているのはガラスのせいだが、雲がいかにも絵から抜け出たように絵画的でポエティック。この景色をただ無心に、あるいは何か内省的な思いに耽りながら、足を止めて眺めている人がいる。彼は何を考えているのだろう。色即是空、諸行無常。そんなことをフランスの人が思うのかどうか。とても饒舌で、相手に自分の言いたいことだけを構わず言ってのけるパフォーマンスの上手なこの人たちの、こんなときの、心の中をのぞいてみたいものだ。

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