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〜選択した記事〜

Vol.032

トゥルネル橋 2008年05月22日

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5区のトゥルネル河岸とサン・ルイ島のオルレアン河岸を結ぶ橋。地理的事情から、この場所には中世から何度も橋が架けられては流されたり壊れたりしている。


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最初の橋が建設されたのは1369年だが、当時、サン・ルイ島はまだ存在していなかった。上流に牛島、下流にノートルダム島という二つの小島があったが、最初の橋は少し大きいノートルダム島に架かっていた。すぐ下流のシテ島ではノートルダム大聖堂の建設が12世紀から始まっていたから、この島からそれがよく見えてそんな名前がついたのだろう。しかし、その地形のためかセーヌの水の流れは微妙だった。木製の橋はセーヌ川の増水で流されてしまう。


やがて二つの小島が一つになってサン・ルイ島ができたとき(1614年)、再び木製の橋が建設され、島に通る人や馬、車両には通行税が課された。が、これもまた1637年、厳寒のために水が氷りつき壊れてしまう。再び架けられた橋も洪水であえなく流され(1651年)、今度は石の橋に生まれ変わり(1656年)、その後、橋桁を低く幅を広げて再建された(1848年)。ところが1910年、パリの記録的大洪水の際に大きな被害を被ってしまう。崩れはしなかったものの痛みが激しく、この石の橋も1918年には取り壊される。


というわけで、ようやく現在の橋の登場だ。


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1928年に完成したのは、長さ122m、幅23m、鉄筋コンクリート、表面が切石で覆われた三連のアーチ橋である。それまではアーチが均等にいくつもあるふつうの橋だったが、今度のはアーチの大きさが12,5m、74m、11mと、真ん中のアーチがかなり幅広にできている。しかも5区に近い方にロケットみたいな格好のものがつきたっている。これはパリの守護聖人サン・ジュヌヴィエーヴを奉った塔ということだ。なるほど、その先端をよく見ると人の形をしている。以前の橋を踏襲せずわざとアシメトリーにしたのは、セーヌ河畔からの美観を際立たせるためというのだから、憎い。この国の人のこういう美的感覚にはやはりかなわない。


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さて、中世に戻ると、12世紀に左岸に「トゥルネル」と呼ばれた櫓があり、ここからパリに入る船を見張っていたという。この tournelle という言葉自体、tour(塔)から派生したもので(エッフェル塔だとTour Eiffel)、tourelle(櫓)から来ているとか。1340年に船着き場が建設され、ここから瓦や薪などを荷揚げしていた。1372年の古い絵はがきを見ると、すでに櫓ではなく、Fort de Tournelle(トゥルネル城塞)が建っているが、この塔になった城塞は16世紀に苦役をする囚人の監獄となり、革命のときに壊されてしまう。


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ところで、トゥルネル河岸と聞いて、グルメならばすぐに橋の正面にある「ラ・トゥール・ダルジャンLa Tour d’Argent(銀の塔の意)」を思い出すのではないだろうか。いわずと知れた美食の殿堂、ヨーロッパで最も古い最高級レストランだ。この国ではどこの都市でもレストランはほとんど地階、でなければせいぜいその上の一階である。パリには今でこそ高い場所から外を眺めるレストランがいくつかあるが、トゥール・ダルジャン(この方が通称)はほぼ400年の間、唯一無比の眺望レストランとして君臨した。最高のカモ料理を王侯貴族のような室内で味わう醍醐味は、ミシュランガイドの創立当初1933年から三ツ星レストランとして別格として扱われてきたが、時の趨勢に乗り遅れ、1996年に二つ星に降格、残念ながら今は星が一つになってしまった。美食にはいまいち鈍感ながら、高いところと歴史建造物の好きな私はそれでも、トゥール・ダルジャンの窓から眺めるノートルダムはどんなだろうかと憧れている。


tourd'argent.jpg【トゥール・ダルジャン】


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そんな美食の殿堂にあやかろうと思ったのか、その反対側のサン・ルイ島に和食の店「勇鮨」がある。今でもサンジェルマンにあるパリ最初の鮨屋「築地」から独立した板前さんがご主人だ。トゥール・ダルジャンのけばけばしさとは比べ物にならない小さな、日本のどこにでもあるような店だが、パリにSUSHI の看板が溢れるようになるずっと前から超一流というクラス分け。わたしは食べた事がないが、無口で頑固なオヤジが握る鮨のネタは新鮮で味もいいと聞く。サン・ルイ島の住民でそこで働いていた人によると,毎日予約でいっぱいとか。
ずいぶん話が橋からそれてしまった。


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ノートルダム大聖堂の後方は正面と様相がかなり違って異様な印象を与えずにはおかないが、このトゥルネル橋からはその後ろ姿を目の前で見る事ができる。サン・ジュヌヴィエーヴ塔の下はちょっと引っ込み、ほこらのようになっている。そこに寝袋とリュックを置いたのは、若い旅行者だろうか、この場所を見つけた孤独な旅行者の興奮が伝わるようだ。ここをねぐらにするとすれば、彼は一晩中ノートルダムを独り占めできるのだから。


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「遠ざかるノートルダム」というエッセイで森有正がこの大聖堂の後ろ姿について書いていた。当たり前の建築物でないということは誰が見ても感じるはずだ。そのすばらしさをもっと堪能したい人は、ブキニストと呼ばれる河岸の古本屋の脇を通り抜けて、世界遺産になっているセーヌ河畔に降りてみよう。その由縁が分かるはずである。夕暮れ時など、本当に素晴らしい光景が広がる。心地よい風に頬をなでられながら川端でピクニックするのも一興だ。第一、この場所はよく映画の撮影に使われる。映画の題名は忘れたが、正装したウディ・アレンがテーブルを持ち込み、白いクロスをかけて食事をしていた(たぶんチキンローストだったと思う)のもこの河岸だった。

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