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〜選択した記事〜

Vol.024

“アヴァル”橋とガリリアーノ橋 2007年08月17日

パリは環状線(ペリフェリック)にぐるりと取り巻かれ、その先は郊外となる。セーヌ川がパリに入り、パリを出て行く二つの場所は、どちらにも正式な名称がつけられていない。

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そのうちの片方、パリ南西の最下流に架かかり、15区と16区を斜めにつないでいる環状線の橋は、通称“アヴァル”橋Pont aval(下流の意)と呼ばれているらしい。ここからセーヌ川は大きく右に蛇行する。左岸の15区から環状線を超えた南側の郊外は、イッシー・レ・ムリノー Issy-les-Moulineaux、セーヌ川に沿って少し西にムードン Meudon(ムードンの森で有名)、セーヴル Sèvres(セーヴル焼きの美術館あり)、さらに西に行くとヴェルサイユ Versailleへと続く。“アヴァル”橋を渡った16区の環状線の外側はブーローニュ・ビーヤンクール Boulogne Billancourt、その上がブーローニュの森。これを包むようにしてセーヌ川は北上していく。

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“アヴァル”橋には歩道がない。付近も高速道路へのバイパスや工事現場があるのみで、写真を撮ろうと歩いているうちに巨大な工事現場の迷路に入り込み、いつの間にかパリ郊外に出てしまった。この一帯は裕福な郊外である。このあたりのセーヌ川には小島がいくつか浮かんでいて、最初の細長いサン・ジェルマン島には大きな橋が二つ(イッシー橋、ビーヤンクール橋)架かっているが、左岸だけにあるレトロな吊り橋を渡ると、こんもり茂った小さい森の中に素敵なレストランがあったりする。無理もない。“アヴァル”橋の16区側にはテレビ局TF1(テーエフ・アン)があり、15区側にも通信会社Bouygues Telecom(ブイグ・テレコム)など最新ハイテク技術の会社が建設中で、この一帯は近く、先進ビジネス街となるはずだ。

ずいぶん長いと遠目に感じた通り、実用オンリーで名もないこの橋は、312.5mとパリで一番長い橋だった。広さ34.6m、コンクリートでできた桁橋で、完成は1968年。フランス語でスワサント・ユィットsoixante-huite(68の意)というが、学生運動が盛り上がった年、団塊世代の青春が燃えた年なのだ。

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さて"アヴァル"橋のパリ市内側に架かっているのがガリリアーノ橋Pont du Gariglianoである。こちらも15区と16区をつないでいる。長さ209m、幅26mの堂々とした姿は、素っ気ないようでちょっとモダン。鋼鉄のアーチ橋、とはいえ、大きな台の上に橋がちょこんと乗っている積み木のようだ。中心になんだか大きな鳥の形のしたものがインスタレーションされていた。

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ガリリアーノ橋は1966年完成だが、それ以前、ここにはオートィユ高架橋が架かっていた。というのも、1860年、この地域がパリに加えられた時、交通の便を図るため、上は鉄道(プティト・サンチュール)、下は道路(マレショー大通り)の2階建ての鉄橋、別名ポン・デュ・ジュールPont du jourとして建設されたのだ(1866年開通)。オートィユ高架線は、1870年に砲弾、1943年に爆撃と、2度にわたり戦争の被害を受けた。1950年代に入り、マレショー大通りの交通渋滞が激しくなったこと、鉄道プティト・サンチュールがあまり使われなくなったこと、橋が低過ぎて河川航行の妨げになったことなどの理由から、オートィユ高架橋は62年に取り壊された。新しい橋には、1944年に連合軍側に勝利をもたらしたイタリアの地名(ガリリアーノ)がつけられた。パリの橋としては戦後、初めて建設着工された橋である。

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夏の夕方、7時頃、ガリリアーノ橋から見える“アヴァル”橋には車が渋滞し、振り返ってパリを望むと、左手には16区の高級住宅街、前方にかの有名なミラボー橋(遠くてよく見えない)、右手にエッフェル塔、15区の上空に丸い気球がふわふわ浮いていた。シトロエンの工場跡が公園になって、そこから上がっているのだ。パリ中心の喧噪も観光客もなく、ずいぶんのどかな風景である。

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右岸の先を1km西に行ったところにサッカースタジアム、パルク・デ・プランス競技場がある。フランスナショナルチーム、パリSG(サンジェルマン)の本拠地だ。左岸の橋のたもと(15区側)にはフランス・テレビのビルがあり、そこがトラムウエイT3の始発/終点駅である。2006年の暮れから運行が始まったT3は環状線ペリフェリックの500mぐらい内側(かつてのマレショー大通り)を14区、13区と東に進み、終点/始発駅ポルト・ディヴリーPorte d’Ivryまで、郊外間をつないでいる。次回はこれに乗って、もう一つの名もない橋に行ってみよう。

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