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〜選択した記事〜

Vol.019

消費社会の聖バレンタインデー 殉教者が残したもの 2007年02月27日

ドラッグストアのショーウィンドーにかわいい商品が並んでいた。いたずらっ子のようなピンクのキューピッドを見て、私は近頃はやりの健康食品、たとえば健康一口ゼリーとか、そんなものを想像していたが、大きく裏切られた。それはバレンタインデー用に作られたコンドームのパッケージだった。


先月半ばから始まったソルドSolde(バーゲンセール)も17日に終わった。昔は冬のソルドは正月明けから月末までだったが、この数年来、始まりが遅くなり、2月になだれ込むようになった。たぶん、バレンタイン・デーにつなげて消費者の購買意欲を促す作戦なのだろう。こちらの「愛の日」に贈るものは、チョコ一辺倒の日本と違って、花束、アクセサリー、香水、バス用品、下着など、どんなものでもいいらしい。しかも、女の子からとは限らず、男の子もプレゼントに頭を悩ませているようだ。



バレンタイン・デーの由来は、調べてみると、多くの行事と同じくもとがはっきりしない。古代ギリシャでは2月は全能の神ゼウスとヘラの結婚の時期。ローマ帝国では、2月15日は冬の終わりを告げる日とされ、豊穣の神だった半人半山羊の姿をしたルペルキュス(牧羊神パン)のお祭り「ルペルカリア祭」が催された。山羊を神に捧げた司祭が祝杯をあげたあと、その毛皮をかぶって街を駆け抜ける。その毛皮に触れると縁起がいいとされ、とくに女性には安産を意味した。前日の2月14日が結婚の女神ユノの祝日で、未婚の女性が札に自分の名前を書いて村のどこかに身を隠し、その札を引いた男性がパートナーを探して歩く。このかくれんぼで鬼ならぬ未来の婚約者を探し当てた青年は、お祭りの間彼女と一緒にいて、カップルはだいたいその年のうちには結婚したそうな。
このほのぼのエキサイティングな「くじ引きお見合い」祭りは数世紀の間続いたが、もともとは独身者のためのお祭りであったのが既婚者も紛れ込んだりするようになった。また、兵の士気が下がるという理由から、269年、皇帝クラウデウス2世が自由結婚を禁止。そして、498年、ローマ教皇ゲラシウス1世が異教徒の慣習そのものを禁じ、代わりに2月14日を聖バレンタインの日と定めた。
この名前がどこからきたかには様々な説があるようだ(2月14日を祝う聖バレンタイン、一説には7人もいるらしい!)。主な説は、インテラムマ(現在のテラモ)のカトリックの司教バレンチノ(バレンタイン)が上記の結婚禁止令下で密かに若者たちの結婚させていたため、迫害にあって殉教、あるいはキリスト教に改宗しローマ教を拒否し続けた司祭が牢獄の看守の娘に恋して、処刑の日の前に「あなたのバレンタインより」と書いて彼女に送った、というもの。
中世では、この日に男性が恋人にカードを書く習わしがあった。その最も古いものが14世紀初め頃、フランスの詩人が妻に当てて書いたもので、大英博物館に保存されているとか。また、娘たちは自分がどんな相手と結婚をするか、2月14日に見た鳥(つがいに限る)で占っていた。コマドリを見たら船乗り、スズメだったらお金がなくてもそこそこの幸せ、ゴシキヒワなら大金持ち...選択肢が恐ろしく限られている気がするけど、要するに牧歌的だったのね、昔は。
1985年、フランス郵便局はレイモン・ペイネRaymond Peynetが恋人たちを描いた切手を発行し、爆発的な人気を博した。その後、2000年から毎年このシーズンに違ったデザイナーによるハート形の記念切手が発売される。バレンタイン用じゃなくても使いたい。
若者向けブログに「各国語で語るアイラブユー」というのがあった。さすが他民族国家。翻訳した言葉を簡単に言えてしまうのも、愛となると素直なフランス人らしい。
カトリックの暦ではこれまでバレンタインデーを祝う習慣がなかった。ところが、パリの教会でカップルを祝福する行事が今年から始まった。年齢や関係の深さを問わず、集まってきた男女に「愛」の意味を説き、祝福するというもの。それぞれの教区にある教会に登録し、午前中にミサ、お昼は教会で食事、そして午後3時半からノートルダム大聖堂に集って祝福を受けて…よく読むとそのあと、バトームーシュでディナーなどのプログラムも組まれていた。その晩のニュースでノートルダムに集まった人たちを放映していたが(大繁盛!)、そのうち、どれくらいの人がこのサービスを利用したのだろうか。

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